このページは、2016年6月~7月にFAAVO滋賀で達成したクラウドファンディングを元に編集しています。
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LGBTの誤解・性別違和の誤解
2016/06/04 06:12
挿絵を描くにあたり、犬飼と濱田はイメージのすり合わせをしました。
印象的な話し合いは次のようなものでした。
(1)ジュエルっ子は、性別違和の問題を抱えた、壊れそうな心の繊細な子なのか
(2)アキは、同性を好きになってしまう自分に葛藤を持っていたのか
答えは、どちらも「NO」。
(1)結構毎日幸せに生きている、実はとてもタフな心の持ち主
(2)恋愛対象の男女の区別の感覚が元々ない子だった
というような・・・
『絵本・ジュエルっ子物語』は、同性愛・性別違和がテーマのように見えるかも知れません。
でも作者の意図は、それらを通り抜けたもう一段階奥のテーマの共有です。
疑問・揺らぎを抱えた者の生き方
疑問・揺らぎを抱えた者の人間関係の築き方
だから、『ジュエルっ子プロジェクト』の対象者は、ある特定の性質・課題・問題を持っている人というわけではありません。
「心の奥にひそむ、表面からは見えない、置き去りにされたひとりぼっちさん」
つまり、それが「全ての方へ」という表現になるかも知れません。
もちろん当たり前ですが、作者だって同じです。
対話型原画展が創り出した「性別の深刻さ」を溶かす楽園
2016/07/01 01:57
上のジュエルっ子の絵。
皆さんには、男の子に見えますか?女の子に見えますか?
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濱田アキがお送りします。
『対話型原画展』が明日に迫って来ました。
私は『楽園』という言葉が好きです。
私は、何もないところから形のないものを創りあげることが好きです。
逆に、既存で形のあるものにあまり興味を持つことができません。
そのような性質なので、試行錯誤が多過ぎて自分が一体何をやろうとしているのか分からなくなることが多々あります。(この『ジュエルっ子プロジェクト』もそうです・笑)
そんな時、私は『楽園』という言葉を思い出します。
私は『楽園』を創り出そうとしているんだ。
私は『楽園』を体験したいんだ。
これを思い出した瞬間、心がシャキッとするのです。
『楽園』は私にとって、ポジティブなこともネガティブなことも混ざり合って、だからこそ味わい深くうっとりするような至福の場所(イメージが伝わるでしょうか)です。
ずっと私の灯台となっている言葉です。
私はいつも『楽園』の方向を向いて活動をしているのです。
では、『性的少数者支援』という観点からは、何が『楽園』となるのでしょうか。
今年2月に開催した『対話型原画展』では、私にとって『楽園』と呼ぶべき体験がありました。
犬飼の絵の中でも人気の高い、来場者のほとんどを魅了したジュエルっ子登場シーン。(上の写真です(部分ですが))
その絵の前に来場者様が数名集まっていました。
様々なマイノリティをお持ちの方かも知れません(特にご自分のことを明かす必要はありません)
みんなで何を話しているのかと言えば、そのジュエルっ子が男の子に見えるか女の子に見えるかという内容だったのです。
もちろんそこに結論はありませんので、ただ、ああだ、こうだとワイワイと。
ただ、男の子か女の子かということだけで、そんなに盛り上がる??
と、びっくりしました。
いや、でも、皆さん、とにかくとても楽しそうです。
しかも、輪の中に作者の犬飼がいます(笑)
このジュエルっ子の絵を描くのは、犬飼自身とても苦労をしたようで、そんなお話も来場者様には楽しいようでした。
この時私は、その場を『楽園』と感じたのです。
性別のあいまいさを心から楽しんでいる様子。
私にとっては奇跡のような場だったのです。
性的少数者のことばかり考えていた10年。
同性婚。
パートナーの性別変更。
知らず知らず、性別について思い詰めて深刻になり過ぎていたような気がします。
私自身が性別の揺らぎを楽しめていなかったのです。
この楽園を感じた時、私は「助けられた」と感じました。
人がそばにいる感覚をありありと感じることができ、私の中の『ひとりぼっち』は、確かに救済されたのです。
すぐに「この手法はとってもいいことに違いない」と思いました。
私にとって『対話』とは、その場に『楽園』を創り出すこと。
深刻さを軽く軽くして行くこと。
そして私にとって『人を救済する』とは、自分がどれだけ救済されるのか、ということなのです。
それが、絵を介することによって、簡単に実現されたのでした。
来場者さま、一緒にいてくださってありがとうございました。
そして、『楽園』を創り出してくれた犬飼にも心から感謝しています。
『LGBT』と『ジュエルっ子プロジェクト』の関係。
2016/07/10 10:37
『絵本・ジュエルっ子物語』は現在4冊のみ存在します。この絵本が私たちに重要なプロセスを起こして行きます。
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『LGBTを知る』の本当の意味
『LGBT等の性的少数者』とは、全ての人に共通する「セクシュアリティ」の多様性の一部に過ぎない。
これが『LGBTとは』の答えになると思います。
頭で分かっていても、この『全ての人に共通する』ということが本当に腑に落ちていないと、私たちの活動は表現不可能なのです。
そこが『ジュエルっ子プロジェクト』の捉え方の難しさだと思います。
なぜ、こんなに私の想いは伝わらないのだろう。
『ジュエルっ子物語』のお話を書いた方の人、濱田アキです。
チャレンジ期間中、『ジュエルっ子プロジェクト』は新聞とテレビの取材を受けました。
その体験と、それによっての私の変化をお伝えしたいと思います。
『ジュエルっ子プロジェクト』をメディアに載せると、なぜ、こんなに私の想いは伝わらないのだろう。
何度か取材を受け、こんな気持ちを何度も味わいました。
実は、NHK大津放送局さまでの放映予定は、このことがネックとなり、中止になりました。
このことで、私は、何か私と社会の認識に、特にLGBTのテーマについては、大きなズレがあると気づかざるを得ませんでした。
(私の表現力の未熟さと、メディアが話題性の高いことに焦点を当てるということを差し引いても、です)
私は約10年間、のべ千人近くの当事者と関わって来ました。
当事者側の感情・思考はある程度慣れているつもりでいます。
でも、当事者と関わる一般の方の気持ちには無頓着でいたよなぁと気づいたのです。
そこで、世の中がLGBT等の性的少数者との関わりにとまどっているという現状をつかんだ上で、私にとっては初の『一般の方向け「すぐできる!LGBT支援講座」』を開催してみました。
これによって私は、社会の生の声を知り、自分とのズレを具体的に知りたいと思いました。
講座は、「当事者」と「一般の方が思う当事者」との違和感を埋められるよう考慮し、構成しました。
誤解を恐れずに分かりやすく言うと、なぜLGBT支援をしたいのに、当事者の痛いところに塩を塗り込み、援助が欲しいところはスルーするのか、ということです。
しかし、一般の方も、そこを恐れているのでしょうね。
だから接し方が分からないのでしょう。
お会いした受講者は熱心な方ばかりで、背筋が伸びました。
おうかがいしたことで印象的だったのは
「やっと、今、LGBTを学べる機会がやって来た。今まで学びたくてもさわることさえできなかった」
「今まで当事者に会ったことがなかった。でもそれは、ただの無関心だっただけではないのか」
皆さまの想いに接して、私、うるうるしてしまいました。
まとめてみると、こういう感じですね。
・LGBTはほとんど目に見えない
・問題の根幹がどこにあるのかつかみにくい
そこで、今回のポイントは『セクシュアリティとは?』でした。
・セクシュアリティは人間に共通するもの
・LGBT等の性的少数者は、セクシュアリティの多様性の一部
・自分もセクシュアリティの多様性の一部である
・LGBTが持つ課題は決して他人事ではない
これが『根幹』です。
『LGBTとは?』から取り組むと迷宮に陥ってしまうのですが、『セクシュアリティとは?』から入るとLGBTが何なのかが見えて来ます。
先ほど表現した「痛いところに塩を塗り込む」とは、他人のようにして関わろうとして来る支援者に傷ついちゃってるのかも知れません。
「援助が欲しいところ」は、心ふれあう関係性なのかも知れませんね。
今回受講された方からご感想をいただきました。
・自分の中に社会的性との葛藤があったのは新しい気づきだった
・(『LGBT支援』について)感覚を磨く
・第三者的に自分を見る
・レッテル貼り・弱者扱いしない
・相手から受け取るものがある
・濱田さんはLGBTとのことだが別に違いはなく普通に楽しい人だった
『普通に楽しい人』!おお!(嬉)
そうなんです。私、私がいることで人に楽しんで欲しいんです。
そのお言葉、すっごく支援されている気持ちです
濱田のカミングアウトの理由
今まで、私が公でカミングアウトをして来た理由は、クローゼットの人(ご自身のことを伏せて生活している人)のためでした。
遠く離れたクローゼットの人が必要と思った時にいつでも私にコンタクトを取れるように。
(実際、人知れずコンタクトいただくことが大変多いのです)
でも、今回痛感したのは、理由をもう少し拡げる必要があると言うことです。
LGBT等の性的少数者を視覚化する象徴として存在し、なおかつ、セクシュアリティの学びを深める存在となること。
私は社会のここに働きかけて行く必要性を感じたのです。
気づいてしまったら、仕方ない。
やる必要性があるから気づいたのです。
私の仕事だから気づいたのです。
『ジュエルっ子プロジェクト』は、人間に共通するセクシュアリティを扱ったものと言えます。
でも、セクシュアリティは深刻に扱っては逆効果です。
犬飼がレポートアップしていたように、子どもが性の話をし出すとなぜかきゃあきゃあと盛り上がっちゃう。
そのようなものなんですよね。
大好きなんです。セクシュアリティ。
性は生に大きく関わっている。
それどころか一体化している。
セクシュアリティは人に共通している。
ただ留意したいことは、様々な理由からセクシュアリティに深刻な渦中にいらっしゃる方は、深刻さから無理に抜け出さなくていい。
ましてやカミングアウトなんかしなくていい。
だから『対話』の形が選べることは重要なのです。
私たちの想いは『ジュエルっ子物語』に全て詰め込みました。
私たちと言葉を交わさなくても、そこにもし共感してくださったとしたら、私と読者や来場者との対話は成立です。
この繊細な対話の場を、私は妥協することなく表現し続けます。
しかし・・・
ここまで深く踏み込んで来るメディアは・・・
たぶんいないでしょうねぇ・・・
いえ、私も表現できていなかったんです・・・
自分の内にあるものを表現したい。そんな自分で存在しているだけ。
それが結果的に沢山の方の共感を得て行きました。